すっかり秋になりました。今朝は名残のとうもろこしと栗がガス台に鎮座し、心躍ります。 秋ですねえ〜、おいしい季節。しばらくぶりのコラム、8月を振り返りつつ、秋分前にひと段落したカフェのお食事、ご来店いただいたみなさまありがとうございました。感謝を込めて。
今年の夏は、数年ぶりにランチ「真夏のお昼ごはん」を提供させていただきました。7年ぶりになるでしょうか。当時のサンデールームカフェでは、暑さで食欲減退モードになる真夏に、一方で調理場も暑くて作業をするのも大変な時にワンプレートにごはんも惣菜も全部のせてしまおうっていう献立を考えました。それまでランチは、惣菜はワンプレートでも、ごはんと味噌汁は別にお出しするのがひとつの型。大皿にごはんも惣菜もそ添えるスタイルは、カレーや〇〇丼のようにひとつの器でささっと食べやすさもありますが、南インド料理のミールスみたいにお皿の上で混ぜて食べても美味しいよ〜という感覚でつくっています。そして何より夏野菜が豊富な時にその日の旬をなるべくそのまま食べていただきたいという思いがお皿に込められています。
「真夏のお昼ごはん」のデビューは2010年の夏。この年の数年前、青い輪っか模様が描かれた大皿を「ランチに使ったら?」と父が買ってきてくれたまま数年使えずにいたことも、そしていつか何か使えればいいなと考えていたこともこの献立ができたきっかけでもありました。でそれまで使っていた惣菜数品をのせる大皿も、私たちサンデールームで買ったものはひとつもなくて、祖父の代から食堂で使っていたものを物置から探し使えそうなものを厳選して使っていました。父としては、それを見て「なんでそんな古いうつわ使うのか」と不憫に思っていたようで、これぞという大皿を買ってくれたわけです。旬の野菜を素朴に料理する私の献立と、父が選ぶ上品でピカピカしたお皿とはだいぶミスマッチで、それをすりあわせようとすればするほど、私のつくる料理の雑さが際立ち、悲しい趣になってしまうのでした。あくまでも家庭料理な私の料理をあの当時のサンデールームの設でお出しすることの不調和はいつになっても納得がいかないものでした。さらにいうと、料亭修行時代にをお世話になった親方や女将さんが食事にいらして下さった時に「味はいいよ。でも、なんで料理を一緒盛りにするんだい。一品ずつ出して、コースにしないとお金頂戴できないだろう。同じように手をかけてもお前の出し方では惣菜にしかならない」そんなアドバイスもいただいたものです。親しい器屋さんからは「あなたの料理は出し方が値段と合ってないね」と言われたこともありました。それは、値段が安いとか高いとかそういうことでなく、何かしらの違和感を思ってのご意見でした。料理の値段てほんと難しいなと思います。
よく言われるのが食材が料理の価格の3分の1にするというけど、そんなの無理でしょ。相当高くなってしまう。だから、通常飲食店は食材の原価をおとすか、労働賃金を下げるしかなく、企業努力どれだけすればお客様に納得していただける食事を提供できるのか。そして継続できるのか。きっと今までの時代の中で最も今が飲食店存続の危機に立たされているのではないかと思います。コロナ後のバブルと何かビジネスを応援する囃し立てモードも相まって街には飲食店が次々にできているけれど、来年の夏はどうなっていることでしょう。サンデールームカフェも3月にプレオープンした時の理想の型にはほど遠くなるばかりで、この半年は昔のカフェにタイムスリップしてきた感じでした。おかげで昔のお客様に何度も足を運んでいただき、時には「ここのご飯が好きだったわ」と「また食べられるなんてうれしい」とありがたき言葉を頂戴して、さらなる船出をスタートしようという気持ちになることができました。毎日賄いや家事程度の食事を作るのとは違う肉体労働で、身体もっと鍛えないことにはこのまま続けるのは無理なこともわかったし、続けるのならば農産物を主におくのはもちろんのこと、働き手にとってもお客さまにとってもよい型を考え直さないと。そして、一番の願い、自然栽培の農産物を広めたいを叶えるためのカフェを本オープンできる日を願って!