今年は例年よりも雨が少なく、太陽は燦燦と日中の気温が高く梅雨という感じがしません。
今年の梅雨は雨と晴れそれぞれが続かず、時々雨降りなんだって!
だったら梅雨じゃないよね〜などと口にしながら、毎日入荷が絶えない農産物たちに「はよ流通せよ」と背を押されております。自然に沿って栽培されている農産物はすこぶる元気、豊作なのはうれしい悲鳴でもありますが、どうでしょう?余剰しているところにはたくさんあって、ないところにはない、なんだかそんなことも顕著になってきました。
私なんて、素直を通りこして頭の中が子供なので、玉ねぎがいっぱいあるからお金をいっぱい持っている人と交換すればいいのにな・・・単純にそんなこと考えます。数年前のお米がたくさんある時もそうでした。昨年から小麦の収穫量も十分すぎるほどある。なのに、輸入の小麦粉をなんでこんな大量に食べなくちゃならないのかね〜。ちょっと考えればわかることを、これだけ高齢化社会(いい大人ばかりの社会)なのに、不思議に思わないのかな?
玉ねぎ、お米、小麦がいっぱいあると言いました。でも、私たちは販売をする役割なだけで、私たちが農産物を所有しているわけではありません。当たり前の話ですが。では、農家さんが栽培したから玉ねぎは農家さんのものなのでしょうか?人間社会のルールで言えば農家さんのものとなりますが、畑に並ぶ農産物を見て、これは俺のものだ〜と言われる自然栽培農家さん見たことないなあ。少なくとも私は。そして、農家さんは皆さんに食べていただきたいと思っていると思います。肥料も入れず、農薬も使わず、自然に沿って栽培された野菜はいったい誰のもの?
所得税、住民税、法人税、消費税、、国や県や市に税金を納めるたび、私たち個人の所有しているものなんてないなあ〜と感じます。日本という国土に住まわせてもらっている。私はそれでも別によいと思っています。土地も水源も海も空気もどこかで分断されていないから。全部まるっとひとつづきだから。もちろん、納めた税金は、私たちの暮らしベースとなる農業や食関連が豊かになる方へっていだだきたいとは本気で、まじめに、切に願います!
「願い」とは、引き寄せの法則で言うと起点になるところから引き寄せられるので、自分で全く違う行動や選択をしていて「いつか〜になったらいいな」と願っていても叶わないのだと聞きました。なるほどです。今の積み重ねの物語において、仮に願いがあれば起点とシンクロしたものが引き寄せられるってこと。本当にシンプルですね。今年の夏は子供のように無邪気になって遊ぼうと思っています。ただ、起点を曇りなく清らかにして、いろいろな余計なものを祓って磨いておくこと、それだけは忘れないように。秋を迎える頃、2学期になり久しぶりに再会したらみんな少し大人になったねって感じた子供の頃のように、アップデートできる夏を過ごしたいものです。