初心にかえる

6月に入り、店に訪れるお客さんの動向に変化がみられます。2019年に中国武漢で発見されたウイルスがきっかけのパンデミックが始まった頃を思い出す、あれほどではないけどちょっと不穏な空気感。買い占めとまでは言わないけど、食料を備蓄する考えが広まってきてもいる。食糧不足、食糧危機の文字を目にするようにもなり、心的に煽られている人も多いみたい。そこにシンクロしてか、この一年わが産地の小麦は収穫をしてみて不足なことがわかりました。きっと、サンデールームで日頃食材を買い食べ続けている方々はご理解いただけている「不足はない、あるものを食べればいい」と言う考え。自然栽培の小麦がないならば、他の栽培方法の小麦を食べようとせず、主食を自然栽培のお米を中心にもどす、強化することができるのではないでしょうか。自然の力で育まれた農産物が日々の糧になるという考えがベースにある、そしてあるものを食べるだけでいい。これって楽な考え方ですよね、サンデールーム開店当初からずっと貫いている大切にしていること。

そして、もう一つ。小麦がなければお米を食べるはいいのですが、お米があるから大丈夫だよねーということにおさまらないでというのも、伝えたいことだったりします。お米に感謝をしていただくことはきっと何より大切なのでしょうが、人間は思考できるのだから先のことを考えこの間に歩みを一歩進めておくことも、生き方のセンスに関わってくる。つまりは未来が変わってくると思えるのです。

2020年のパンデミック宣言から、大騒ぎになっているわりにウイルス自体は強い病原体ではないから日本では感染者のほとんどが軽症、重症になるのは持病がある人や高齢者であるにも関わらず、ならば気にしなくていいかというとそうもいかず、人から人へ感染するかもしれないとの理由で全員での自粛が当たり前になった。マスクでは感染から身を守れないことも、人に感染させないようにもできないと知ってもいるのに、世間の目があってマスクなしでは外出してはいけない日もまだ続いてもいる。今年に入って要請はゆるくなり、厚生労働省が熱中症対策のためのマスク緩和も出たけれど、事態はすぐには変わらない。この騒ぎに、実のところもううんざりしている人も多いけど、大きな声では言うこともできず、この先いったいどうすればいいの?そして、次なるは食糧危機というから、一市民にはどうにもできず「もう好き勝手生きればいいんだよね」と極端な方向へ行ってしまう感もみられなくもない。

ウイルスをきっかけに、医療や政治では解決できなかったことがたくさんあると誰の目にも明らかになった。ある意味、そこから早々にリタイアした私は、自然と調和した生きかたを選択したおかげで、パンデミックの中でもさほど影響を受けずそこそこに気をつけるくらいで暮らしてこれたことに感謝してはいるけれど、ここにきて不穏な空気感をようやく感じざるを得なくなってきています。「今の社会の仕組みのままでは農業や経済も政治もとにかくこれまでのやり方ではきっと立ち行かない時がきて食糧危機がくる」農家さんたちと世間話してきたその未来にいよいよ突入し、想像以上に大事で、実際に起きてみると無力感と抗えない感に驚くばかり。もはや世間話をしている時間もなく、待ったなしの日々の連続にこれって逆にワクワクしているのかなー?と思うこの頃なのです。最近、急上昇しているオンラインサロンもそうですが、コミュニティ形成に熱心な動向が多いのは、この先の何か大きな破壊とその後の未来へつづくものを見据えているのだろうかとも想像している。

この2年間の人々の動向によってもたらされる結果は大きいだろうと思います。それは、考えないで従うことにしてきた一人ひとりの責任とわたしは考えています。もちろん自分を含めて、です。そういった意味でも、ウイルスにわたしは敬意を表します。少なくとも、原発事故や大震災のような自然災害よりも目に見える破壊を超えた、破壊を及ぼした大きな存在。ウイルスに関しては、自然栽培をベースにした自然の摂理を鑑みれば何も恐れることはないし、恐れたところで抗えないことがわかるから、もちろん消毒など一切しません。そんなことしたらもったいない。ウイルスが遺伝子に影響して人が進化したと医学講座で学びましたが、心的霊的な面でも多大な影響を受けたこの2年でした。不穏な空気感と目に見えている現象を思ったときに、暗い気持ちになったのですが、ウイルスのことへ想いを馳せたら、ああそうだった!全ては浄化作用だったと初心に戻り、晴れやかな面持ちです。

コラムを読んでくださる方々にも、その知恵があるから何ら心配がありません大丈夫ですという方も多いと思います。では次に、一歩進めるとしたら、どうでしょう?周りの人に知恵を広めることもやってみること。それは誰かを変えたりのコントロールではなく、「私は〇〇です」と自分を表現するだけのこと。もし社会の仕組みが変わったら、どこのコミュニティに属するのか、どういうコミュニティを創造するのか、全てフリーってなったら?自分を表現していかないとならないだろうと思います。選ばないことには何も変わらない。大事なのはまず決めること。まとまりませんが。先週の土曜日に感じた不穏な空気感の中から数日に思ったことを書いてみました。

夏至から月末までサロンフルオープン、ぜひ足を運んでください。