自然力を引き出す

お盆休み、いかがお過ごしですか?

今年は夏を思いきり堪能しています。どこか遠くへ行ったり、特別なことをするわけではないけれど、大好きな夏をさらに愛でるような毎日を過ごしています。朝の空の色、朝起きてすぐ飲むアイスコーヒー、日中の暑さを想定しながら心地よい一枚の服を選ぶことも、暑さをしのぎながら冷房の効いたサロンで料理すること・・・・。今夏もおかげさまで大豊作な野菜たちを何を食べようかと選び考える間もなく料理することにも。

12日の朝ふと「あ、味噌汁飲みたい!」となり、昆布とかつを節で出汁をとり、緑色のナスの皮を剥いて縦半分に切ってから薄く斜めにスライスして、ナスたっぷりの味噌汁を作りました。久しぶりの味噌汁でした。昨年の2月に仕込んだお味噌がようやくこなれてきて、美味しかったー!ナスの美味しさが感じられる一品、これから秋にかけ味ののってくるナスでぜひお試しください。自然栽培の野菜のもつ水分が美味しいとよく言われることですが、味噌汁にしたときにも澄んだ味わい、身体にするすると沁み込むように入っていく滋味深さ、この瞬間に「秋になったな」と身体で感じました。

「旬のものを食べよう」 当たり前のように言われている言葉ですよね。例えば冬には根菜を食べ、ナスやトマトなどの夏野菜は食べないという、ざっくりしたものも含めて。この「旬のもの」という括りに対して疑問に感じることがあるのできょうはちょっとそんな話を書いてみようと思います。

旬て何でしょう?

ざっくりした括りの旬には違和感しかありません。というのも、私たちは土と離れてしまった生活をするようになったことが大きな原因とも言えるでしょう。でも本当にそれだけなのかな?毎年7月ごろ、今年はもっと早い時期でしたが急に気温が上がると、人はもう夏の気分になるから、その勢いで急にかき氷なんかが食べたくなっちゃうもの。そんな時にはすぐにでも夏野菜が欲しくなる、ナスやトマトを食べたくなっちゃうのです。だから、それを見越して6月くらいから出荷できるように農家さんは準備していているのが一般的で、大多数の人たちはそこに共振しているのか引き寄せられてしまう。人の思いでコントロールされた旬が作られている時代だなと思えてしまう。集合意識というのは、人間世界だけでなく植物ともつながっていて、コントロールしコントロールされている(私仮説)

だからというわけではないけれど、私が自然栽培を選ぶ理由は、このコントロール社会にはシンクロしないためというのも一つでありまして、農産物には本当の旬があること、それは一般栽培の野菜とはだいぶ時期がずれています。農家さんひとり一人によって、旬に差があることも自然栽培の農産物を販売することで教えてもらったことです。その年の天候、自家採取をしていれば前の年やその前の年の天候までもが左右する世界。旬というのは深淵な世界なのです、本来は。だから旬のものを食べようなど軽はずみには言えなくなりました。私たちは、旬を知っているかのようで、知らない。

集合意識に共振して食べたい!となる欲があることも否定はしません。それはそれ、でもその欲をちょっと抑えてみて、自然栽培の農産物のリズム&ペースに合わせてみる。そしてこれを継続していくと、心身に変化がおとずれます。外界のいろんなことに左右されなくなります。それはそれ。でも私は何が好きで何を欲しているのか、どう生きていきたいのか。すぐにわかるようにならないとしても、わかっていく方向へ調整が始まります。これが、自分の中の自然力が引き出されるということなのかなと思っています。

自然栽培の穀物、野菜を食べよう!の理由は何か他のものをおぎなって、コントロールで成り立つ世界からの解脱、一抜けた!な感覚からです。自然界とのシンクロする方法はあらゆるジャンルで提唱している方もいますが、日々の暮らし、衣食住の中に答えがあると思っています。