始まりは1999年8月1日。両親が営む和食店の定休日に間借りして日曜日だけのカフェをオープンしたところ、人通りもなく、通りすがりのお客さんは来ませんでした。開店前に手作りのチラシを作りましたが、置いてくれるお店や場所もなく断られ、毎週来てくれたのは友人たちが少しだけ。それも当たり前の話、どんな人が何を提供するのかもわからない、文字通りの見切り発車のカフェ、お客さんはひと組か二組ほどで、週一営業でこの有様では継続不可能なことが始めてみてわかり、私たちができることはなんだろうと考えたり悩んだ記憶はないのですが、いつだったかふと降りてきた言葉がありました。
「毎日でも食べられる体にやさしいお昼ごはん」
エリア的にもお客様に来てもらうにはを平日営業にして、ランチタイムにごはんと味噌汁、野菜の惣菜数品をワンプレートにした日替わり定食を出すことに翌年の1月より開始、本格的なサンデールームの始まりでした。祖父母の代からこの場所は食堂でしたが、たとえ場所を借りたとしてもいざカフェを始めるとなるとそれは全く別ものでした。調理道具、うつわは買うお金もなかったので、あるものを組み合わせて使わせてもらいましたが、問題は食材でした。父は市場と街の中の八百屋さんから仕入れていましたが、私たちがサンデールームで提供したいのは「毎日でも食べられる・・・」あの言葉ですから、それって何だろうと?パンやコーヒー豆を取り寄せたり、探しに行ったり。お米と野菜は無農薬の農家さんがいるらしいと聞きつけては会いに行ったり、最初のうちは畑も始め、それはそれはてんてこ舞いという言葉がぴったりなサンデールーム初期。
そのうえ、当時の私は忙しく働くことへの疑問というか、どちらかと言うと深夜遅くまで働く両親をこどもの時から見ていて飲食店の労働は大変でとんでもないという思いが大きくありました。フランス人は夏に1ヶ月バカンスをとるらしい、パリは夏の間ほとんどのお店が休業するらしいという情報を鵜呑みにし(一部では正しいけど)、サンデールームの店自体を1週間夏休みをするとか、1ヶ月休もうとか、オンとオフが明確な暮らしに憧れ、そこが思うようにならない自分自身の問題を日本人の労働環境に問題があるということに置き換え、どこかで社会に抵抗しているようなところがありました。
当時も今も、食や農業において政治の恩恵を感じにくく、その期待は薄れているのが正直なところです。わたしたちのような一般市民が政治的なことや大きく社会を変えるような直接的な働きかけはできませんが、小さくてもまずはわたしたちの暮らし、仕事、考え方をつみかさねて、問題があったら改善をしていくこと、理想に向かうことへの興味と行動をしてきた場所がサンデールームでした。
「毎日でも食べられる体にやさしいごはん」という言葉に導かれて、歩んできたサンデールームを今の私の目線で綴ってみたいと思います。

