また目が覚めちゃった

連休のある日、畑訪問に行きました。名目は種まきのお手伝いでしたが、農作業のお手伝いなどそうそう簡単なことではないのも承知のことで、1日目は雨も降ってきたので、種の選別、昨年収穫した綿花を綿くり機にかけ種子を抜きさったり、ゴミ取りなど、小豆の選別を体験させていただくことに。雨が降っても晴れていても、お百姓さんの仕事は山ほどあって、忙しいとか大変とかご苦労をされてるとかでは決してなくて、農作業とはとても豊かな仕事としみじみと感じる訪問となりました。すばらしい体験で、一緒に訪ねた友人たちとも「これは塾だね。めったに体験できることじゃない、お金を払ってすることだね」と話しました。

わたしがよく言う「自然栽培の世界観」なるものを初めに世におろしたのは宗教家の岡田茂吉さん。自然栽培のお米と野菜がだいすきで、もっというと自然栽培的なものの見方や考え方が生きるうえでとても助けられている私なのですが宗教活動には全く興味を持てず入信はしていません。でもその思想は知りたいと考え、いくつかに分派された宗教団体の一つから出版されている論文を取り寄せ読んでは、ふむふむおもしろい〜となってます。100年前に提唱したとは思えない先見の目はさすが〜と感じ、妙に共感する部分多いのです。こういう言い方もへんですが、センスが合うみたい。私たちの食糧を生産する農家さんが上流にいて、上流が豊かでなければ下流にいる私たちの暮らしも豊かにはならないというお考えは自然栽培を知る前から全くそうだ!そうだ!と思っていたこと。自然栽培はそもそも農家さんを救う、経済的にも豊かであるために提唱されたそうで、食べる人の健康や地球環境のためが始まりではないというところ、それあくまでも結果なだけというところ、この考えが私にはもっともしっくりくるところです!

ですので、今回の訪問は農家さんの豊かな暮らしをしみじみと感じてうれしかった。特に今の時代、さらにいえばこれからもっと、どれだけお金があるかでは豊かさは計れないのは明らかでしょ。まず第一に、思いの部分、中心の部分、または自分自身の軸がしっかりしていない限りいくら周りを整えたところで豊かさなど得られないでしょう。自然栽培を理解して、実践されている農家さんは豊かです。岡田茂吉さんが100年前に提唱された経済的な豊かさと、もしかしたら私の理解は少し異なるのかもしれません。農作業の合間にとる食事は出荷用とは別の小さな菜園で少し野菜を収穫し、サラダや天ぷらに料理したり、おやつにはよもぎを積んでお団子にしたり、付け合わせの餡子やきな粉も全て自家製で、豊かさ以外のなにものでもないこの満ち足りた世界を味わえたこと、その農家さんの下流にいる私はうれしくなりました。

「星野さんの趣味って何?」滞在中、農家さんに聞かれ、私の答えは「仕事も生活も趣味も全部一緒だから、特にこれといってないです」というのが正直なところ。そういえば、昔・・・目の前に畑がありそこに面したキッチンで、畑で収穫した野菜を料理し庭先で食事をしたり、昼寝をしたり、時々、文を書いたりしながらの暮らしを夢見ていたことがありました。20年以上前のことなので、すっかり忘れていたのですが、今ふと思い出してしまいました。夢をすっかり忘れたふりをしたのか、諦めたのかももう定かではありません。私なりに本気で仕事をしてきたから自然栽培に出会えたから、そのおかげで仕事も生活も趣味も一緒と言えるようにもなりました。ありがたいことです。でもね、今回の訪問先で目の前に広がる景色と体感で、忘れていた夢、諦めてきたことを思い出してしまったので、この辺り目を瞑るわけにもいかず、さーてどうなっていくのかな、どうしていこうかな、どのようにさせていただけるのかな〜というこの頃です。