訪れた畑にはなんとも言えない、しあわせエネルギーで満ちていました。「雨つづきで野菜たちはげんきなくて、畑をみてもらうにしてもあまりいい状態でなくて」という言葉とはうらはらに、手入れがよく行き届いているきもちのよい場所。
自然栽培の田畑や農作物からは、その人となりがあらわれやすいと思うのだけどどうなの?と常々思っていたことをある農家さんに話してみたことがある。「肥料で育っているのではない分、あらわれやすいんじゃないですか?それと、思いもつよいから、よけいに出やすいんじゃないかな」という返答。肥料で育っているのではないから、思いによる行動の結果がそのまま出やすい、確かにそうかもしれませんね。農作物は工業製品ではないから、その人らしさが感じられる方がどこかほっとする、自分ではないけれど、誰かが育ててくれているという安心感。自然栽培の農作物には大自然のエネルギー+人のエネルギーを感じられるから食べようと思う。無農薬、無肥料だから安心という感性は私にはほぼ皆無、よくわからないのです。
こんな抽象的な話、農業の話でもないし、説明するにも伝わりにくい話なのですが訪ねた畑はやっぱり「しあわせエネルギー」としか表現のしようがない、一緒に行った友人も「ここには未来への福音を感じますね」と喜んでいた。ここの畑の園主は、9年前に自然栽培の畑研修の同期生。当時、農家だった彼はその後縁あって、林業に関わることになり企業することになったそうで、畑仕事が手薄になっていたところ、土に関わる仕事をしたいとずっと考えていたという女性に出会い結婚をし、畑仕事をを引き受けてもらったそう。やってみたいと思っていた農家の仕事を実際やってみてどうかと奥さまに聞いてみたら、「全く素人で何も知らないから、大変かどうかもわからなくて楽しいです。草が生えたら、あ!はい抜きます!!って感じです」って、ほんとうに楽しそう。「ゆくゆくは林業は仲間に任せて、畑にもどってきたいです」という農園主の彼はにこやかに、おだやかに言っていたけど、なんかね、ほんとうに「しあわせエネルギー」に満ちていて、いただいてきた今年の初ものゴーヤは「今まで食べたゴーヤの中でいちばん美味しかった」と夫に言わしめた。これからの時代、人はこういう農作物を食べたいと思うようになるのでしょうね…