一年かけて構築中のHPですが、その中のサンデールームのあゆみを2020年から遡るように、反省なんかもしながら書き始めたものの、2017年の盛りだくさんさに頭がクラクラし一旦ストップしていました。そこで、オープンした1999年に遡ることにしました。
1999年の8月1日の日曜日、カフェを始めました。このカフェ、今あったら行きたいなと思うお店です。それもそう、20年前に行きたいなと思う場所がなかったのでつくったお店でしたから。あと、なんとなく文化はカフェから始まる、みたいな理想があって。アーティストが集い自然発生的に何かが創造されるような、昔のフランスのカフェ文化に憧れてたのもあります。哲学者とかがカフェで語り合って、みたいなのが好きでよく夜中まであーでもないこーでもないと今思えば精神世界というのかな、革命には関心あったけど政治には無関心だったのでどちらかというとスピリチュアルなこと熱心に探求していました。
ですが、あゆみのところにも書いたように・・・アーティストたちが集うと言ったって自ら発信することもなく、オープン初日に来てくれたのはともだちやその家族、それもそのはず宣伝もしていないし、外から見えない2階にあるカフェに通りすがりの人もいないお店に誰がくるというのでしょう。オープンして早々に撃沈、このままでは継続はきないと気づくのです。これが1999年のあゆみ、12月にはおせち料理をつくることにしたのもこの撃沈を体験したからです。
さて、このあゆみを読んだ方からメッセージをいただきました。
なんだか、このシリーズ、ワクワクしますね!
ちょっとずつ「サンデールーム」の秘密が解き明かされていく感じ……。
カフェを始める前は、何をしていらしたのかなあ〜?
どうして「今のうちにはじめておかないと」って思ったのかなあ〜?
どうして食材を仕入れたとき「スーパや市場からくるものは違うだろう」って思ったのかな〜?
続きを読むのが今から楽しみでなりません〜!
わたしはカフェを始める前、料理修行をしました。料亭の板場のお約束で最初は見習いからスタートし、3年目の土用の丑の日には焼場というポジションをいただき400本の鰻を焼くようなお仕事でした。その後、小さなフランス料理店で1年半、そこでの出来事がきっかけで一旦は料理の道はやめようと半年休養するものの、やっぱり料理がしたくなって中華料理店で2年くらいアルバイトしていました。日曜日だけのカフェ、サンデールームを始めてからも平日は中華料理屋で春巻きとか揚げていました。
今のうちにはじめておかないとと思った理由については直感にしか過ぎず、うまく思い出すことがまだできないのですが、きっかけは妹の言葉でした。大学を卒業して沖縄から帰ってきた妹がカフェしようと言って、いいね、近くにカフェないものねって、たしかそんなノリだったような。軽いノリとはいえ、物事を始めるとなると選択の連続です。話が出たのが5月、開店8月でしたから、場所は両親の営む店の定休日の部屋を使うとしても、看板どうする?メニューは?使ううつわ、コーヒー豆は?ミルクは?砂糖は??と、一つずつ選ぶことがそれはそれは大変でした。楽しいとは思えなかった。というのは、参考になるお店がなくて、どこかへ行ってもなんでこのミルク?カフェの砂糖ってみんなこれだよなーとか、コーヒー豆から捻出した金額と一般カフェで飲むコーヒーの値段とが頭の中で一致できなかったのが始まりで、値段をつけることは考えると果てしなくて、その上、メニューを考えるとなったら食材仕入額を考慮したら頭で考えることはわたしには不可能でした。
話はそれますが、看板は油絵のキャンバスに妹が絵を描いてつくりました。その看板の絵を以前のHPに使っていたのを覚えていた方が、今サロンに飾られている龍にどこか似ていると言っていました。うつわは所持金がゼロ、借金はしなかったのでお財布の中にあったお金でサンドイッチ用のお皿三枚を買うのもやっとだったし、もっというと特に欲しいものが明確ではなかったのでだったら、家にあるお皿を使えないかな〜、うつわにあう料理を想像した結果うまれたのが「からだにやさしいお昼ごはん」だったわけです。こうして思い出すと私たちってあるもので何かを創りだす天才じゃん!というくらい、お金をかけないでやってきました。ないって素晴らしい、まさに!「ないとおもっているだけで必要なものは全て揃っている、人生の教訓を身にしみて体験させてもらったサンデールーム初期でした。
3つ目の質問、食材の仕入れについて原価計算が不可能だったわたしがどうしたか、はまた次回に。こうして質問に答えるのって楽しいです。