「薪ストーブの季節になると明らかに生態が変わるね」と言われる通り、やばいですこのままでは冬眠への道へ迷い込んでしまいそう。封印を解いてスピリチュアルな勉強をしているという妹から聞くところによると冬至の日に目醒めのゲートが閉まるという。これはまずいね、夢は冬眠することと数年前までかなり本気で声に出し言っていたわたしは、言いつづけて癖になってしまったことをこれまた本気で回収しています。
さて、今日のお題は「自分がしていることのもとをただせば、何かに対しての不満や文句から始まっている」というお話。何かに対して、「なんなの、それ?」っていろんなことに対して不満がわいてくるという彼女はその不満が行動を起こすモチベーションになっているという。わかる!わたしもサンデールームを始めた時に近くにカフェがなかった、行きたいなというお店がなかった、自然栽培の食材が食べられるお店がなかった、・・・・なかったから作った歴史がサンデールームだった。でも、不満からのスタートってなんか最近しっくりこなくなっているので、わたしの最近の考え方の変化を言ってみた。「わたしも昔はそうだったけど、その言い方を変えてみたらどうかなって思い始めてる。文句じゃなくて、こうしたらいいんじゃないか、よくしたいなって思って行動をしたと言い換えてみると、結果が違うのかな」そしたら「わたしはそうは思わなくて、また別の人と話した時にイヤなものが同じ人との集まりというのもあるよねってなったんです、好きなものが一緒の人との集まりでなくイヤが一緒の人との集まり」ふーむ・・・
彼女とわたしの考えは、ほぼほぼ同じのように思える。単に表現方法が違うだけとか話しのアプローチが違うとか、ほんの少し前のわたしは「ま、言ってること、同じだよね」ってざっくりまとめちゃうのだけど、今のわたしはちょっと違って、ざっくり話をまとめることはしない。ほぼほぼ同じようなことでも、色合いというかニュアンスがけっこう違いがあることがわかる。うーん、色のグラデーションがここにはあって、それほど不調和ではない。
人の話を聞き、その言葉から感じたことを頭で理解しようとすると、このグラデーションに差異がつけられず、別物だけど同じグループに入れてしまうことがおこる。三次元の社会で調和的に生きるために今まではこのグループ分けが重要なことだったと思う。でもこれからはこの差異こそが重要で、みんな違ってみんないい、グループ分けは不要ですね。同じ考えでいる必要もないし、自分の感じ方で判断すること、どれだけ自分の心に正直であるか、全てが自分からしかない。