1/6 また流行り出しちゃった・・

やれやれ、です。冬なんだから風邪があたりえに流行するシーズンなんだけど正月休み明けに感染者数が急激に増え、そういえば急激でもないね数日前からじわりじわり増えていたかもしれない数字を昨日の夕方テレビを観ると気分を不安に煽るような報道が急に増えている、というのが正しい言い方もしれません。街を歩く人たちにオミクロン株についてどう考えていますか?と聞くインタビューを取材し、「受験が近いから心配」「感染力が強いから心配」「密にならずマスクで対応するしかない」と街の人たちが答えるというシーンが流れています。素直にテンションさがるー、こうなるだろうなと予測していたことも実際起こると結構テンションがさがる、嫌な感情がむくむくと湧いてくるものですね。

2003年に冬に地デジが導入され、2011年夏にアナログが完全に撤退したテレビですが確か2011年の少し前に家のテレビが故障してからの約10年ほど脱テレビ生活を送っていました。というのは世に氾濫する不安や恐怖をないものとしたら、自分の考えや行動がどのように変化していくか、試してみたのです。実際にやってみてとてもよかったのでわたしはおすすめします。よく不安症やうつ病の人はテレビや新聞からの情報を入れないといいと聞きますが、これほんと真面目にそう思う。あと既成概念や社会通念や外側からの思い込みにとらわれる、影響を受けやすい人たちはやってみるといいです。私の周りにはそういう人結構多いし、周りでなくても最近の若い人たちには増えているとは思います。ここで、至極思うことがあって、「テレビ、新聞の言うことは嘘だから見ないようにしよう」というのもまた偏った考えであって、自分の好きな情報ばかりを選択していてもね、それもなんだかな見ていてけっこうきびしい、違和感がある。テレビと新聞の報道を排除するのでなく、メディアリテラシーを持つことが大事なんじゃないか。

メディア・リテラシーとは、民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。

長きにわたるといっても10年程度だけれど、テレビ新聞からの情報統制を自分に課して、そしてテレビをまた3年くらい前から家に置くようにした我が家、初めテレビを見た時はとても厳しかったー、コマーシャルとか物凄い圧を感じて見られなかった。そのくらい、なんか敏感な人になっちゃってそれはそれで、メディアリテラシーなんてあったものでなく、嫌いなものから目を背けて逃げていただけとその時はまだそんな感じでした。たった5、6年前のことです。その時から数年を経て、10年は無駄ではなかったと気づきます。というのは、その間に自らがこの感じいいなと選んできたものをベースに、いろんな形態のメディア情報に照らし合わせ、そのベースがより強固になっていくのがこの5、6年のこと、どんな強風が吹いたっての軸はブレません。ブレないというのは、その軸をまもるとか固執するために何となく同じ考えの人たちといるためではなく、まさにメディアリテラシーが説明する通り、批判分析をし、創造的に自己表現をし、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話、行動する能力が自分にあることを信じられるようになった、ということかな。

これから、もっともっと隠されていた情報にアクセスできる時代だろうなと思うと楽しみで仕方ない。自称チャネラーさんたちも増えてきて、いろいろ教えてくれたりもするのかな。そんなことも含めて、テレビ新聞と同じくらいに私は受け止めて、対話し行動をしていこうと思います。