サンデールームの創業メンバーはわたしと妹の2人、すぐに末妹も加わり三姉妹で営んでいました。私が料理修行を終えて、この先また別の店で働くか実家の両親を手伝うかを悩んでいた時に沖縄での学生生活を終えた妹が前橋の戻ってきました。郊外に駐車場を完備した大型店舗が増えていく時期と呼応するように、シャッターをおろす店も増えていくばかり。店もなく、人のいない街は機能不全に感じましたし、この先どうなっていくのだろう?と勝手に街のことを憂いていました。
お店がないならば作ろう、今ある場所を活用して、わたしたちが行きたいような場所、遊ぶ場所、生活の拠点になる所を作ろうと始めたのがサンデールームのカフェだったのかもしれません。こどもが放課後、秘密基地を作るように遊びだけれど超本気、この感覚は25年過ぎた今も変わらずに続いています。カフェを始めたところ人通りのない街の端っこ、日曜日にお客さんは来るよしもありません。そこで、本当にわたしたち行きたい場所ってどういう店だろうと考え始め、尚且つなりわいとして継続できる型を模索しました。
翌年2000年1月「毎日食べられる体にやさしいお昼ごはん」をメニューにして再出発。わたしがランチ作り、妹が焼き菓子作りとサービス担当、2人でランチを切り盛りしました。数年後、愛知県で就職していた末妹が戻り、スタッフが増えたのでランチ以外のお惣菜やお弁当などテイクアウトを充実させました。実家で昔から作り続け、ご近所さんや親戚に届けていたおはぎをお盆、お彼岸に販売したり、味噌作りや梅干し作り、らっきょう漬けなど加工品のWSをしたり、我が家でこどもの時から食卓にあった「玉ねぎのタレ」というステーキソースをサンデールームのオリジナルの加工品として販売しようと加工場を借りて自家製したりとアイデアを出して、トライする連続。友人の作家さんのうつわの展示会、服の展示会も頻繁に開催して、イベントを楽しんでくださる人たちがたくさん集まり、静かな街がその日だけは賑やかになるのですが、わたしたちが大切にしたいのは日常のことでした。
「毎日でも食べられる体にやさしいごはん」を料理教室で提案したり、日曜市というオーガニックマーケットを開催して、イベントよりも日常の大切さを発信をいつも考えていました。カフェで食事をして「美味しかった」「サンデーで食事をすると身体がリセットされる」とありがたい言葉もなぜか素直に受け取れない、提供している型が何か違うと感じていました。後々、近隣のオフィス街で働く人たちよりも健康を気遣うお客さん、病気になったり妊娠したりしてサンデールームの食事をしに来られる方が増えているのは明らかでした。
サンデールームのごはんはわたしたちが作っているのではなく、自然からのめぐみ、それは田畑や農家さんからわけていただいた食材を自分の意図や思いを入れずに料理をすることを心がけていました。料理人とてその日の体調や気分や諸々があり、そのモードは料理を通して食べる人に影響すると思っているので、あくまでも自分は透明な回路であること、自然のエネルギーをじゃまをせず、そのまま通すことだけ。毎日キッチンで日替わりランチを作りながら、その一方では土や畑がすぐ近くにある森や山でカフェができたらいいな、なんてこともよく考えていました。
