幼い頃小児喘息だった私は近所の町医者を何件か渡り歩き、アレルギーの専門医にたどりつきました。吸入、注射、飲み薬を使った記憶はありますが、それらを使った後に症状がかるくなった記憶はありません。そもそも咳がすこし落ち着いて、お医者さんに行ける状態になってから診察するのですから当たり前のことで、覚えていることといえば、お医者さんが何を言うかその言葉と表情、それだけはいつもしっかり聞いているような子供でした。
「今日はなんできたの?」そのお医者さんは診察に行くたびに毎回同じ質問をしました。わたしは喘息だから来ているのになんでいつも同じ質問をするのだろうとふしぎに感じていました。その医院では、親を診察室に一緒に入れないで自分の言葉で症状を説明させることをしていましたが、私は親に言われて医者に行っていただけなので、自分の言葉でなぜ来たかを説明などできなくて、ただ母親から言われたまま、「夜中に咳き込む」「走ったりすると息苦しい」など言われるがままを伝えることが多かったと思います。そうすると、先生は顎の下のリンパ腺を触ることと聴診器をあてることをします。私の身体の中のぜいぜいしている音を先生は聞き分けて、注射や飲み薬を選ぶのかな?診察室に行ってもあとは何もしません。これで治るのかな?とまた不思議に思いました。2回に1度か、3回に一度、吸入をする時は味や匂いは臭くていやでしたが、何かをしてもらえたような気がして、よかったような気持ちにもなりました。注射もそれほど痛くなかったのでその時一瞬だけ息を止めて我慢すればいいと慣れてしまいました。そんなことを思いながらもも、たどりついたそのアレルギーの専門医の先生を私はなぜかとても信頼していました。そうこうするうちに私の喘息の症状は治まりました。
小学校高学年になった頃にそのお医者さんの著書を読みました。たしか、君と喘息という本だったと思います。先生の考え方は薬の量を減らしていくことが重要であること、生活を普通にすること、自分の病気のことをしっかり学ぶこと。そして、群馬大学で前橋リポートというインフルエンザワクチンが効果はないという研究をされていたことを知りました。難しいことはよくわかりませんでしたが、私が先生を信頼していたのはこの辺りが理由だったのかなと今は思っています。薬は多少使うけれど、正統医学のお医者さんだったなと。
小児喘息を経た以外はその後、大した病気をせずその後は医者にも薬にも頼らない生活を自ら選び30年以上過ぎました。小児喘息で医療にかかった経験で、なんとなく身体は自然に治癒していくのを感じ、薬は出されても効かない感じがしたので飲まなかったこと、根拠はないけど信じられないことを受け入れることはできないという性分で、その後医者には行かない人生を歩んできました。ただ、30歳までは健康診断には行っていたので、その時々に何か数値やなんらかのよくない結果が出ると再検査を促されるのがめんどくさくて、そのような結果が出る原因をお医者さんに聞いてみても私の望む答えが得られず、ただ検査をすすめられることに納得ができなくて、健診も行かなくなり20年以上が過ぎ、自然と医療から離れる生活になってしまいました。
そうは言っても、かなり独自な選択なので人にはあまりおすすめできないでいたこのジャンル。いわゆる科学的な根拠がないから「超おすすめしたいけどできない、しないこと」の最たるものがこの選択です。代替医療も選ばないという選択なので、皆さんが今までご存じの医療に対する考えとは真逆すぎて驚くかもしれませんが、医学的には真っ当な話で、それを自らの暮らしで実践していこうというめちゃくちゃ本質のお話です。「そうはいってもね」、とか「とはいえ」がない。もしも関心ありましたらぜひご参加ください。衣食住のあり方を見直すための医学講座と健康相談会です。残席、あと3名です。お待ちしています!